マイノリティ / 脳機能 / 独り言

吃音と緘黙のお話。

こんにちは、ばゆぴっぴです。
マイノリティが少しずつ受容されつつありますが、まだまだ生きづらさを感じる世の中です。

とても繊細で個人差の大きなお話を扱っているので、共感できる人もできない人もいるかと思います。あくまでもわたしの主観なので、『そんな感じなのか…』と優しい目で見ていただけると幸いです。
※これを書いたのは1月下旬ですが、その後の2月の月初に地元紙で緘黙について取り上げられました。偶然のタイミングかも知れませんが嬉しかったです。

わたしが吃音と緘黙を自覚したのは最近ですが、物心の付く頃から喋ることに関しての違和感はありました。それが当たり前のものだと思っていましたが、どうやらそうではなかったようで。

吃音は滑舌の問題かと思うところもありましたが、わたしの場合はある特定の条件が揃った時に吃音が発生します。いつでも発生するわけでもないのが逆に厄介。突然流暢に喋れなくなって気付くというのがお決まりのパターンです。
特に忙しくて疲れてしまった時なんかは引き金になりやすいみたいです。頭の中にある文章と口から出てくる文章が大きく違うときだってあります。びっくりして混乱した時も言葉が崩壊しますし、さ行、た行、だ行はよく詰まります。
ちなみに8割は連発タイプです。あとの2割は文章の区切り方がおかしくなります。長文だとそのおかしさが強く現れます。

元々早口なことも引き金のひとつみたいです。いや、早口だから吃音になりやすいとかそういうことではありません。逆です逆。喋っている最中に頭の中から文章が突然消えることもしばしば。一気に消えて言葉に詰まらないように、文章の区切り方がおかしくなっているのかもしれません。

わたしの場合は脳が壊れたことも少し影響していて、病前と比べて現在は言葉が出てこなくなったり詰まりやすくなったりしました。いつでも喋ることのそれ自体にどこかで躓くというか、難しいというか。

笑われたり、からかわれることもありました。今となっては『(性格が少々曲がっているので)わたしの喋りで笑ってくれてありがとう!』としか思いませんが、心の中ではすごく傷付きました。心無い一言ってどこにでも転がっています。見えていないだけで目の前にもきっとあるんだと思います。
無知故の心無い言葉に正論で返すことが正しい時もありますが、殆どの場合は笑って流すことが穏便にやり過ごす術のような気がします。

発音しにくい単語に気付いた時、その単語を避けるように云い換えたり、言葉を選び直すことは自然と身に付いていきました。いくつかの名前があるものに関しては、無意識のうちに発音の容易いものを選んでいました。
逆に云い換えができないもの、例えば固有名詞ばかりの環境はわたしにとっては辛い場所でした。商品名やメニューの名前がそうですね。どう頑張っても上手く発音できない。

掛け算九九も苦手です。7の段なんて特に苦手。九九全体が苦手な発音のオンパレードなので、小学生の頃にあった掛け算九九マスターみたいなカードにシールを貼ってもらうのもとても苦労しました。

それでもなぜか、歌うことだけは問題なくこなせました。不思議。
リズムの流れがあると発音しやすいのかもしれません。

発音に少々の難がある状態でしたが、云い換えができるようになったことでメリットもありました。
この文章を書く作業なんてまさにそうです。分かりやすく伝わりやすくなるように言葉を選んだり、単語を入れ替えてみたり、ひとつの文章に対しての拘りが強くなりました。上手く喋れない分、お手紙もブログも書くことそのものが楽しいのです。

緘黙もまた別の特定の場面で発生します。
インカムとマイクに向かって喋ることが全くできません。カラオケなんかも全く駄目です。電話でも一言も発せませんでしたがこれはなんとか慣れてきました。苦手なことには変わりないけど。喋らないといけないことは分かっています。それでも喉が締まってしまって全く喋れません。喋らないんじゃなくて喋れないんです。ここ大事。よく誤解されます。

やらなきゃいけないのは分かっているので無理をしてでも喋ろうとしますが、必ず顔がカーッと熱くなって、頭の中は真っ白で全身が硬直して動きたくても動けません。蝋人形みたいです。その結果として全く喋れなくなるのです。
酷くなると過呼吸を起こして泣きながら倒れるので、そんな環境は今まで避けてきましたしこれからも避けていくつもりです。勿論、克服したい気持ちはありますが現時点ではあまり現実的ではないような気がしています。

お喋りは好きだけど喋ることが(本来は)苦手なので、ゆっくりと自分の言葉を形にできる文章ってわたしにとっては大切な唯一の表現方法です。

吃音にも緘黙にも共通することですが、どちらも見た目からは分かりません。見た目だけじゃなくて、軽度だと喋っても気付かないと思います。わたしは今まで気付かれたことがありません。だって、特定の状況でしか発生しないから。
その『特定の状況』に直面して初めて周りも気付くので、それまで普通に(ほぼ)何の問題もなく過ごせていた人の様子がおかしいとあれ?ってなりますよね。

だからよく怒られます。『何でちゃんとできないの?』って怒られます。わたしはいっぱい怒られてきました。
ちゃんとできないわけじゃないんです。ちゃんとやってます。頭の中では完璧な完成形があります。でもそれが正しくアウトプットできないだけなんです。

どちらも特別なものではないし、選ばれた人だけがかかる珍しいものでもありません。
吃音は約100人に1人が持っているとされている脳の特性です。緘黙は約200人に1人が持っているとされている不安症のひとつです。

どちらも重大な病気ではありません。これだけは誤解しないでください。
特性に配慮して回避したり、薬物療法や心理療法で少しずつ慣れていって声を出せるように導いていくのがいちばんの方法のようです。

当事者の中でも程度には差があるし、周りが知らなければ理解も配慮も得られないのでまだまだ辛さの残る世の中だなぁと思います。他にもわたしの感じる生きづらさはありますが、今日はここまで。
いつかマイノリティという言葉がなくなる日がくるといいな。

お読みいただきありがとうございました。

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writer

音楽とライブハウスと文具が大好きなしがないオタク。インディーズ邦ロックに夢中。 別名義でイベント企画の準備中。

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