
わたしはこれからも書くことをやめない。
こんにちは、ばゆぴっぴです。
ライブレポ(という名のメモ)の再編集とお引っ越しも終わったので、ずっとわたしの頭の中にあったことでもお話しようかと思います。
わたしが『お手紙を書く』ということを始めてから6年が経ちました。もうそんなに時間が経っていたんですね…。
最初はどんな理由で書き始めたんだっけ…?
今となっては誰にどんな理由で書いたのがきっかけだったのかあまりはっきりとは覚えてないけど、ちょっとした興味だった気がします。確か、自分の存在を主張したかったとか、頭の中衝動的に湧いた気持ちを伝えたかったとか、とても浅くて純粋な気持ちだったと思います。当時は相手がどう思うかよりも自分の思いを全力でぶつけるような書き方をしていたのかもなぁ。ちょっと反省。
お友達、当時働いていた会社内で社内宛ての申し送りメモ、社外の方へのメール、お礼状、そして歴代の推しや本命、ありとあらゆる形で沢山の方にいろんな文章を書いてきました。これが後々のわたしの生き方に大きな影響を与えることになりました。
n年間生きてきて、現時点で人生最大とも云えるほどの脳の病気を経験して、それをきっかけに退職して、同じタイミングで大好きだったバンドも解散して、お手紙を書いていく理由を失ってしまった時期もありました。それからは暫くの間、1通も書くことはありませんでした。自分から書きたい理由を消してしまっていたのかもしれません。
手書きをするという文化から離れてしまったことで、わたしの壊れた脳では日常の言葉もうまく出ず、次々と忘れていって、記憶もまともに残っていない時期でした。『考える』ということそのものを拒絶してしまって、自分の記憶にないことや身に覚えのない出来事が起きては混乱して生きていくことが怖かった。自分だけど自分じゃないようなそんな気持ちでした。
どれだけ自分と向き合っても一向に前には進めなくて、微々たる改善しか感じられませんでした。
それでも残酷なほどに時間は過ぎていくし、歳も取っていく…。
その間が約2年。自分の内面の現在地と目指したい場所との乖離が辛くて、どうしたらいいのかも分からなくて、書くことからも遠ざかってしまいました。
ちょうどこの時にいろんなことが重なって、大きな転換点になったのかな。今のわたしがあるのも、この頃の自分の選択と決断があったのかもしれない。
偶然みたいなきっかけで心が救われて、やっと本当の意味で少しずつ自分の軸となっている部分と向き合えるようになり始めました。焦って少しだけ大回りをしてしまいましたが、落ち着いて考える時間ができて、自分の中にある思いを丁寧に紐解けるようになって、正しい意味で客観視できるようになれたからこそ今があると思っています。
下書きもせず書きたいことはとにかく頭の中にストックしておいて、いきなり便箋に向かっていた頃。
書きたいことを一度紙の上に吐き出してから、整理して書いていた頃。
それを引き継ぎつつ、相手の素敵なところを過不足なく伝えたい今。
相手はいつだって人間だし、良いことも良くないことも云われないと分からないし気付けないと思っています。わたしの頭の中を読み取れるような超能力なんてありません。
もしかしたらどこかにはあるのかもしれないけど、それはわたしにはできないし。
かといって、良くないところを伝えるだけというのもお互いに幸せな気持ちにはなれないし。嫌なところは見たくなくても嫌というほど見えてくるし、それを膨らませて迂闊に傷付けてしまうのは好きではないし、そういう痛みは要らないと思うのです。でも、きっと自覚のないよくない部分を伝えるのはまた別のお話かな。そんな時の痛みなら多少は必要だと思います。伝える側も悩むけど。
言葉は似ているけど、嫌いと悪いは似て非なるものだとわたしは解釈しています。
その違いを説明するのは難しいけど。主観的な好みか、客観的な評価か、感覚的にはそんなところじゃないでしょうか。この感覚をちゃんと説明できるようになるには、もう少しだけ時間が掛かるみたいです。
折角お手紙を書くのであれば、本人も気付いていないような、わたしの感じた素敵なところはどんなに些細であっても沢山伝えたいというのがわたしの今のスタンスです。それが例えば見当違いなことだったとしても、伝えないよりはまだいいのかなと。
伝えられる機会があるうちに伝えることに意味があると思っています。
いつでも伝えられると思っているうちに、相手が居なくなってしまうかもしれない。姿を消してしまうかもしれない。
わたしが実際に経験したお話です。
『この前は伝え損ねたから次は伝えよう…』
そう思って準備をしていた矢先に、その人は姿を消してしまいました。正しく表現すると、同じ世界に確かに存在するのですが、伝える手段は絶たれてしまいました。
何の前触れもなく、誰が見ても非常に不本意な形で去ってしまったのです。心の準備なんてする余裕は全くありませんでした。ただ突然姿を消しました。
存在するのはたったそれだけの事実です。
後悔しないように、浮かんできた言葉が新鮮なうちに伝えるということをどれだけ徹底していても、数日後には何が起こるのか分からないから。
どれだけ沢山伝えていても、どこかで必ず足りないことに気付いて後悔します。
その後悔はずっと消えないけど、最小限にするためにできることはあります。
それが、とにかく伝えるということです。
取り留めもなく浮かんできた箇条書きの言葉から、分かりやすいように伝わりやすいように噛み砕いて文章にして、尚且つ客観的に書くことって意外に難しい。
相手のことを些細な仕草まで細かく観察していないと出てこない言葉もあるので、『お手紙を書くこと』を再開してから観察眼は鋭くなったような気がします。
毎日最低でも1つは良いところを見付けたい。
とても難しいし、どうしても見付けられないときもあるけど、これを続けていくと嬉しい変化がありました。
日常生活で当たり前に接している人達の些細な変化にも気付くようになりました。良いことも、悪いことも。相手のことを心配したり、褒めたり。
嫌なところを見て揚げ足を取るよりも、何倍も何十倍も前向きなことだと思います。
ここまで頭の中に思い浮かぶ限りの言葉を文字に起こしてみたけど、やっぱり大変です。喋るとなれば、簡単に組み立てられて一瞬で済んでしまうのに…。
ものを書くことが激減したこのご時世なので、書いていく中で漢字が出てこないとか、送り仮名が分からないとか、しっくり来る表現が浮かばないとか、どこかで必ず躓くけど書くことは何よりも楽しいので、その度に調べて書き進めていきます。
誤字脱字もなく読みやすくて完璧を貫くならPCでさくっと作ってしまうこともできるけど、どんなに時間が掛かってもやっぱり手書きが大好きです。癖字だし、書く時の調子で読みやすくも読みにくくもなる安定しない文字だし、書く時のマイルールもとても多いけど。
試し書きをして悩みに悩み抜いた万年筆で、拘って選んだお気に入りの便箋に文章を書くというのはとても幸せな気持ちになれることだと思います。
常に贈る相手のことを想いながら便箋や封筒を選ぶ時間は心がとてもときめくし、SNSやメールで送った文章とは少し違った厚みがあるのも良さじゃないかと。
ライブやイベントに参加する度に毎回必ず当日の午前中に書き上げる、わたしはやっぱり狂っているのかもしれません。そのための下書きさえ当日まで何も用意してないことさえあるけど。
お手紙に限定せずとも、頭の中にある気持ちを紙の上に吐き出して消化していく作業は感情を整理するために必要なことだと思います。だから、すっきりしない時は気が済むまで吐き出してみるのもいいんじゃないでしょうか?
長々と書いてしまったけど、頭の中もやっと落ち着いてきたのでこれで終わり。
これからもずっと、わたしは書くことをやめません。
お読みいただきありがとうございました。